今回は、他流派の合気道を経て6年前に叡和会へ入会された荒川さんにお話(※)を伺いました。

聴き手

前回の演武会は荒川さんとしてはいかがでしたか?

荒川さん

はい、私が叡和会へ入会してから3回目の演武会だったのですが、とてもリラックスして楽しむことが出来たのが良かったです。

聴き手

荒川さんはほかの流派の合気道を経験されているそうですね。やはり他流派の演武会と叡和会のそれとではずいぶん違いますか?

荒川さん

そうですね。はじめは大学の合気道部で、そこは一番会員数が多い合気会という団体でした。全日本の演武大会が日本武道館で開催されていて部員は全員強制参加だったのですが演武は高段位の方だけで学生は見学だけでしたね。

聴き手

見学だけだと少し退屈だったのではありませんか?

荒川さん

いいえ、実は当時もっとも有名だった女優の由美かおるさんもそこの門下生だったので、彼女を目当てにワクワクしながら武道館へ行ったから全然大丈夫でした。(笑)

聴き手

ちょっと動機が不純ですねー

荒川さん

すみません、19歳の元気盛りでしたしテレビに出ている有名人を実際に見たこともなかったので勘弁してください。怖い先輩方も一緒だったので、ご指導いただいていた先生の模範演武もちゃんとみていたはずです(笑)。でも席が遠すぎてよくわからなかったですね。

聴き手

卒業までは続けられたのですか?

荒川さん

いいえ、半年くらいしか続きませんでした。体育会の合気道部だったので週に3回以上稽古があって、地獄の夏合宿も乗り切ったのですが、一生懸命やっているのに疑問がだんだん大きくなっていきました。

聴き手

どんなところに疑問を感じたのでしょうか?

荒川さん

まず、先輩方がめっちゃ力まかせに技をかけている感じがしました。一緒に入部した一年生の男子が3年生の黒帯の先輩の四方投げを受けて上腕を骨折したのには驚きましたね~。

聴き手

えええぇ~!!それはお気の毒でしたねぇ。

荒川さん

はい、本当に、、、。合気道の技って本来は絶対にケガをさせずに相手を制するものなので、先輩が未熟だったんでしょうね。間違って骨が折れる方向に力をかけてしまうとほんとに折れるんだなと気づきました。高段位の指導員の先生は土曜日にしか来られなかったので、未熟者同士だけで力まかせな稽古をしていると危険ですね。

聴き手

なるほど、本来は合気道はとても安全な武道なのですね。

荒川さん

はい、本当に合気道が上手な先生に技をかけられると痛くないですし、逆に愉快になって笑ってしまうことが多いんです。

聴き手

えっ???それはなぜですか?

荒川さん

自分の体に催眠術をかけられたような感じでコントロールされて抵抗できなくなるからです。あまりにお見事な技だと笑顔になってしまうんです。

聴き手

さきほどの気の毒な学生さんとは真逆なのですね。

荒川さん

はい、いまは本当の合気道を体験していて楽しさしかないのですが、学生時代はもうとにかくずっと痛かったですね。先輩の小手返しなんか勢いをつけてひねるだけですから恐怖でしたよ。

聴き手

それで退部されたのですね。

荒川さん

はい、自分にとっての憧れの先輩を見つけられなかったのが辞めた原因ですね。本部派遣の先生は達人だったと思いますが、いつも見ているだけで手をとって教わった記憶はありません。一年生は上級生の受け身をとるのが役目みたいな感じでした。合気会でも良い道場はたくさんあると思いますが、私の大学の合気道部は鍛錬のシステムがお粗末でしたね。でも受け身だけは相当うまくなりました。命がけみたいな緊張感があったので。

聴き手

その後はどうされたのですか?

荒川さん

9歳から数年間、空手を習っていた経験を活かして中国武術のサークルに入ろうかな?とも思いましたが、自分には合ってない気がしてやめてしまいました。

聴き手

ほかに何かスポーツなどはされていたのですか?

荒川さん

大学の近くに有名なサーキットがあってそこでアルバイトしているうちに、オートバイのレースにどっぷりハマってしまいました。モータースポーツですね。

聴き手

えっ、それってその恐怖の部活よりずっと危険なような気がしますが、、、

荒川さん

はい、はるかに危険でした(笑)。才能はあったみたいでかなり速いレーサーだったのですが、転倒とか接触事故でたびたびケガをしていました。ところがなんと地獄の合気道部で磨き上げた受け身の技が大怪我を防ぐのにとっても役に立ったんですね。

聴き手

まさか合気道部の鍛錬がバイクレースに活きるとは意外ですね。

荒川さん

まさに人間万事塞翁が馬という諺のとおりでした。そのサーキットで死亡事故もありましたので、まさに命がけの受け身の稽古が、転倒時の強烈な衝撃から私の命を護ってくれたと思います。合気道は人生に役に立つと断言できます!縁があればどこの流派でもお勧めします!!

聴き手

荒川さんは、かなりのレアケースだと思いますが参考になります。

荒川さん

私は武術とか格闘技とかが子供のときから大好きだったので、大学卒業後もテレビや雑誌でずっといろいろな格闘技の試合を見ていました。中でも1993年にアメリカで開催された第1回UFC大会は人生最大級の衝撃でした。

聴き手

どんな点がですか?

荒川さん

その大会のテーマは『最強の格闘技は何か?人類最強は誰か?』というもので、ルールは目つぶし、急所攻撃、噛みつき以外はすべての攻撃がOKという戦いだったからです。そこで優勝したのがブラジリアン柔術のホイス・グレイシーだったのは有名な話です。ほぼ何でもありの戦いで最強を証明したのが、合気道とも同じルーツをもつ柔術でした。それ以降、日本からブラジルへ伝来した柔術の有効性に世界中の格闘技オタクが熱い視線を送るようになりました。

聴き手

はぁ・・・

荒川さん

あれ?すっかり引かれていますね。安心してください。話は合気道に戻ってきますから。1993年に柔術の実戦における有効性が実証されたわけですが、UFC大会はあくまで素手同士での1対1の戦いに限定されています。しかし合気道の源流である合気柔術は戦国時代における合戦での戦闘技術が体系化されたものと言われています。つまり素手同士の戦いではなく、自分の刀が折れてしまって、武器をもった複数の相手と素手で戦うときのための技術として発展してきたわけです。

聴き手

なるほど

荒川さん

そして合気柔術から発展した合気道も、本来は自分は素手で、刀や槍をもった複数の敵を制する究極の戦闘技術体系なのです。私は細身のホイス・グレイシーが彼よりはるかに屈強なヘビー級ファイター達を次々と打ち負かして優勝する姿を目撃したときに、この技は合気柔術のほんの一部に違いない。そして合気道の技もファンタジーではなく本物の技術だと確信して衝撃を受けたというわけです。

聴き手

合気道への関心が再燃しはじめたということですね?

荒川さん

はい。最近のニュースでは、街中や電車の中で刃物を振り回して暴れる異常者が起こした悲惨な事件を目にしますよね?つまり護身術としての観点からいろんな武道を評価した場合、柔道や空手の試合では武器はなし、しかも1対1の模擬戦ですから心もとないと私は感じます。

聴き手

つまり荒川さんのお考えでは、現代社会の護身術としては合気道が最適だと。

荒川さん

はい、武器を持った複数の相手が急所を狙って自分を絶命させるための攻撃を容赦なくしかけてきたときにどうするか?そこで冷静に対処するための『心・技・体』を磨きあげるのが合気道の目的の一つだからです。

聴き手

なるほど!合気道が最高の護身術といわれている理由がやっと理解できた気がします。

荒川さん

それから私は、合気道の開祖・植芝盛平師から合気道の神髄を受けついだ本物の合気道や合気柔術の達人を探し始めました。

聴き手

そんな達人が見つかりましたか?

荒川さん

はい、書籍や雑誌、映像などを調べ上げてついにこれは本物であろうと感じた武道家を数名ほどピックアップしましたよ!

聴き手

ちょっとワクワクしてきました、それで実際に会いに行かれたりしたのですか?

荒川さん

実際に本物の合気道を習おうとすると家から通える範囲でなければなりません。最終的には塩田剛三先生の養神館と、藤平光一先生の心身統一合氣道会が候補として残りました。お二人とも合気道開祖の植芝盛平先生の直弟子で、塩田先生は藤平先生の兄弟子にあたります。

聴き手

それでどちらの先生に?

荒川さん

私がすっかり魅了されてしまったのは、塩田剛三先生でした。映像でみた塩田先生の合気道は神業としか思えませんでしたし、ボクサーのマイク・タイソンや格闘王の前田日明さんも塩田先生を達人中の達人と認めているくらいの合気道の神様です。

聴き手

塩田剛三先生に会いにいかれたのですか?

荒川さん

いいえ、残念ながらその夢は叶いませんでした。
「合気道をやるなら塩田先生の養神館しかない!」と決意した矢先に、剛三先生の訃報が報道されたのです。1997年のことですが、今思い返しても涙が零れそうになります。

聴き手

それは、、、本当に悲しかったでしょうね

荒川さん

はい、私が始めて入門したのは、植芝盛平先生の合気会でしたが、二代目を継がれた方の技を演武会でみても特に、、という感じでしたし、きっと養神館に入門しても塩田剛三先生の合気道はあまり残っていないだろうと思ったのです。今思うとそんな事はなく、大変失礼な話しですが、最後の望みが絶たれてすっかり意気消沈していたもので。

聴き手

ええ、わかる気がします。

荒川さん

そのころから急に仕事が忙しくなり、2年後には会社を辞めて起業したので、それから10年くらいは仕事一辺倒の毎日で、まったく運動はできていなかったです。

聴き手

そうだったのですね。その後に合気道を再開されたキッカケはいつ訪れたのですか?

荒川さん

2007年頃の話ですが、ある日突然、私の前に藤平光一先生が現れたんです。

聴き手

ええええっ!!! ほんとですかぁ?

荒川さん

はい。藤平光一先生は、植芝先生が亡くなる三ヶ月前に合気道十段を允可された方ですので、植芝先生の合気道の最後の継承者だったと思います。

聴き手

そんな合気道の神様みたいな方がどうして荒川さんの前に現れたのですか?

荒川さん

その時はもう合気道をやることは一生ないだろうなって考えて企業経営に没頭していました。そんなある日、経営者が集まる少人数の勉強会に参加していたのですが、そこへ講師として藤平光一先生が登壇されたのです。とんでもない凄いカリスマ性を感じましたねぇ。

聴き手

なにか凄く運命的なものを感じますね!

荒川さん

ええ、藤平光一先生は合気道の真髄とは何か?合気道という和合を実現するための真の武道がどのように日常生活や仕事をする上でも役に立つかというお話をされて、実際に目の前で神業としか思えない凄い技を見せてくださったのです。

聴き手

あああっ、すみませんちょっと鳥肌が立ってきてしまって、、、

荒川さん

本物の合気道を追い求めて20年、ついに合気道の神様の氣に触れた瞬間でした。いやぁ、ほんとうに感動しましたねえ

聴き手

運命的な合気道との出会いですね

荒川さん

はい、「天は自ら助くるものを助く」という諺のとおりですよ。私は自分自身を向上させるために日々できる限りのことをやっていたので、その努力を神様はずっと天から見ていたということでしょうね。

聴き手

その後すぐに心身統一合氣道会へ入会されたのですか?

荒川さん

いいえ、すぐに入会はしませんでした。その代わりにまずは藤平光一先生の本を買い集めて読みまくりました。

聴き手

まずは藤平先生の哲学に関心をもたれたのですね?

荒川さん

はい、私はエンジニアだったので、徹底的に調べて論理的にも納得してからでないと動きません。年齢も40を超えていたので、藤平先生の書籍で勉強すれば十分と考えたのです。

聴き手

なるほど

荒川さん

ところが当時別の勉強会でご一緒していた女性が藤平先生の合気道の門下生ということが分かったのです。追い打ちをかけるように、学生時代に藤平光一先生の合気道の黒帯をもらった人間が新入社員として私の会社へ入社してきました(笑)。

聴き手

合気道の神様が荒川さんを囲い込む包囲網を敷いてきたみたい(笑)

荒川さん

はい(笑)。まさにそんな感じでしたね。なんで目の前に突然、藤平光一先生が現れて、入会しなかったらすぐに知人の女性に誘われて、それでも入会しなかったら優秀な新入社員が合気道で学んだことを私の会社で実践しはじめるんだ?と。神様はどうしても俺にまた合気道をやらせたいのか?と

聴き手

それでようやく、

荒川さん

はい。ついに観念してめでたく合気道を再開しました(笑)。

聴き手

おめでとうございます!

荒川さん

ありがとうございます(笑)。
もうこれは神様からの指令だと確信したので、仕事のペースは抑えて、合気道に没頭しました。2年くらいで黒帯に合格したとき、最高段位の先生に肩をポンポンと叩かれて身に余るお褒めのお言葉を頂いたのは本当に嬉しかったですね。

聴き手

うわぁ、がんばってきて良かったですねー!

荒川さん

さらに驚いたことに、合気道を始めたらメチャメチャ元気になって、仕事もうまくいきだしました。その前の10年間は1日15時間以上、ほぼ土日も休まず働いていたので、心も体もボロボロだったんです。

聴き手

そんなときに神様が荒川さんを救いに来てくださったのですね。

荒川さん

そうですね。合気道が当時の私の人生を一変してくれて、心身を支えてくれたと実感しています。元気になりすぎてトライアスロンやトレイルランニングまではじめました。もう運動ジャンキー状態でしたね。

聴き手

そんな素晴らしい合気道をなぜまた中断してしまったのですか?

荒川さん

家庭の事情と仕事の都合ですね。2人目と3人目の子供が産まれたり、道場から遠い場所で新規事業を立ち上げたので通い辛くなったとか、忙しすぎて会社に寝泊まりすることも多くなったため物理的に稽古をすることができなくなったのです。

聴き手

それは残念なことに、、、

荒川さん

ほんっとうに残念でしたよぉ。悩んだ末、7年間稽古してきたその流派を休会させてもらうことにしました。仕事が落ち着いたら絶対に稽古を再開しようと思いました。

聴き手

どのくらいでまた始めることができたのですか?

荒川さん

なかなか再開はできませんでした。休会から4年ほど経ったときに父が癌になりまして。手術を受けたのですが、その後に心臓病も患ってまたその手術をして。母はその20年ほど前に病気で亡くなっていたので、私が父の世話をしなければならなくなったのです。

聴き手

ああ、、それじゃあ

荒川さん

ええ、そこで私は大きな決断をしました。もう仕事を辞めて家族のために時間を使おうと。

聴き手

えっ、でも社長さんなんですよね?

荒川さん

はい、ですから事業を売却したり整理したりして、1年くらいかけてほぼ引退することができました。そして知人から頼まれた仕事で在宅でできるものを少しだけやることにしました。

聴き手

なるほど、それで叡和会とのご縁はどのように?

荒川さん

はじめは休会中の前の流派へ復帰するつもりで、家の近くの道場を探したのですが、無かったのです。小さな子どもの世話をするので家事と育児の合間に通える道場を探していたら、

聴き手

今度は乗木先生が目の前に現れたのですか?(笑)

荒川さん

まさにそんな感じでしたねー。(笑)
家のすぐ近くの体育館で乗木先生の道場のポスターをみつけて、Webで調べてみたらなんと、一番はじめに入門しようとした養神館本部道場の道場長が教えていると

聴き手

これはもう合気道の神様の指令だと?(笑)

荒川さん

運命的な出会いだと感じました。あの塩田剛三先生の本部道場長であれば、白帯からでも学び直す価値あるかもしれないと思い、体験稽古に行きました。

聴き手

乗木先生のご指導はいかがでしたか?

荒川さん

まず、心身統一合氣道会とは稽古方法が全く違うと思いました。養神館は「システマティックで理路整然」としているなと。そして「基本の姿勢を重視」しているなと感じました。これは『俺に一番合う合気道かもしれない』と考えて、入会して確かめることにしました。

聴き手

ほかにはどんな違いがありましたか?

荒川さん

まず、基本の構えがまったく異なります。前の流派はとてもリッラックスした状態で構えますし先生から構えを修正されることはほとんどありませんでした。しかし養神館では正確な基本の構えを維持するためにたいへんな努力が必要です。そして乗木先生は細かく姿勢を修正してくださいます。

聴き手

それはなんだか安心感がありますね。

荒川さん

はい、そうなんです。そして驚いたことにその基本の構えを保持すること自体が高度な鍛錬になっているのです。

聴き手

それは合理的な稽古方法ですね。

荒川さん

実は、前の流派の合気道を稽古しながら、並行して他の著名な先生から宮本武蔵の二刀流剣術や身体調整術を習っていました。そこでは徹底的に本質的な身体操作の鍛錬を行っていたので、乗木先生がつけてくださる稽古の意味を理解することができたのだと思います。

聴き手

なるほどぉ

荒川さん

それから、乗木先生や三浦師範、丸山師範のご指導では、理合い、つまり合気道の技が奇跡的な効果を発揮しているそのメカニズムを丁寧に解説してくださいます。これは本当にありがたいのです。

聴き手

すみません、私にはちょっと難しくて、、、

荒川さん

言い換えると、「達人の技を再現する方法を分かりやすく教えてもらえる」ということなんですよ。

聴き手

ええっ!それはつまり叡和会で稽古すれば確実に達人に近づけるという意味ですか!?

荒川さん

そうなんです。ちょっと凄すぎると思いませんか?ちなみに前の流派ではその理合いの再現方法はたまにしか教えてもらえなかったのです。だから本当に有り難しなのです。

聴き手

もしかして叡和会の師範って気前が良すぎませんか?

荒川さん

はい、まさにその通りです。私がその著名な先生から毎回高額な授業料を払って教わっていたようなレベルの技術をふだんの稽古で白帯の段階から丁寧に教えてもらえる最高の環境がここにあったんです。

聴き手

なんて素晴らしい!

荒川さん

普段の稽古に加えて、定期的に池袋で開催されている特別講座ではその回のテーマに合わせて大切なポイントを集中的に教えてもらえるのでそれも大変ありがたいです。

聴き手

やる気さえあればいくらでも上達できる機会がたくさんあるんですね!

荒川さん

叡和会が凄いのは、他流派の稽古と平行して習いに来ている方や私のように移ってきた会員がたくさんいらっしゃるんです。つまり普通の合気道道場とは明らかに違う価値がここにあるという証拠です。

聴き手

でもマニアックな先輩会員ばかりだと未経験の方には馴染みにくいのではないかとちょっと心配になりますけど

荒川さん

ご安心ください。叡和会ではまったくの初心者や小学校低学年から初めて黒帯になった方もたくさんいらっしゃいます。塩田剛三先生が考案された鍛錬のシステムが秀逸なのです。それを本部道場長だった乗木先生が教えてくれるのですから初心者にとっても最高の環境です。

聴き手

だから私のようなまったくの初心者からでも無理なく上達できるんですね!

荒川さん

はい、上達へのステップが非常に小刻みに設定されているので、階段を楽に上がっていける感じです。
私の前の流派や合気会では初心者は5級の審査から受けはじめて4級、3級、2級、1級、初段(黒帯)と6段階です。しかし叡和会は10級から始まるので黒帯まで11段階もあります。

聴き手

小刻みとはそういう意味なんですね。

荒川さん

昇級審査をうける回数が増えるので一見大変そうですが、一つ一つのハードルは低いので誰でも無理なく上達できるように設定されていて合理的です。

聴き手

私でも確実に黒帯になれそうな気がしてきました!

荒川さん

それから叡和会には、見習いたいな、と思える熱心な会員さんがたくさんいるのも良いところです。毎週わざわざ栃木県から板橋区の道場へ通っている方もいるんですよ。

聴き手

本当ですか!それじゃ1回の稽古に一日がかりで交通費もたいへんですよね。よっぽど毎回の稽古が充実していないとモチベーションが続かないので、叡和会の環境がそれだけ素晴らしいということですね。

荒川さん

はい、私は6年目ですが、いまだに毎回の稽古で目からウロコがおちるような感動を覚えています。こんな体験は叡和会だけですよ。だから毎回の稽古が楽しみでしょうがないくらいです(笑)。

聴き手

荒川さんは本当にいつも人生が楽しそうですよね。

荒川さん

ええ(笑)、合気道のおかげでほんとうに豊かな人生だなあとしみじみと幸せを味わっています。そして毎年9月には演武会があるので、友人や家族にも来てもらって1年間の稽古の集大成をお披露目できるハレの場があるのが最高です。

聴き手

由美かおるさんには会えなくても?(笑)

荒川さん

そっち方面はとうの昔に卒業しましたのでご安心ください。(笑)

聴き手

本日は長時間にわたりありがとうございました!また道場でよろしくおねがいします。

※本記事はプライバシー保護の観点からお名前を仮名にしていますがすべて実話をもとに編集されています。

*見学、体験は無料です。お問い合わせフォームより事前にご連絡ください。入会のご案内はこちら
*演武会の見学も大歓迎です!